2018年10月03日

免許更新とポカリスエット

京都駅前運転免許更新センターに運転免許の更新に行ってきた。以前は羽束師の運転免許試験場へ行かなければならず大変だったのだが、今回は京都駅前ということで非常に便利になった。

2016年にできた新しい施設で、流れも非常にスムーズ。1番:受付→2番:更新料の払込→3番:視力検査という感じで、ベルトコンベアーに載ったみたいに流れていく。講習(30分)を含めて1時間足らずで更新が済んだ。

こういうシステムが嫌いな人もいるだろうけど、僕はけっこう好きだ。あれこれ考える必要がないし、効率の良さを美しいとも思う。

病院の健康診断などをはじめ、今ではいろいろな場でこういうシステムが導入されている。自動的に右から左へ流れていきながら、すごいなあといつも感心する。

たぶん、人間にはこんなふうに受身に流されることに対して心地よさを覚える部分があるのだろう。それは被支配の欲求とでもいったものだ。歴史を振り返ってみたとき、例えば全体主義の思想の底には、支配する側の論理だけでなく支配される側の欲求もあったのだという気がする。

少し話は違うかもしれないが、ポカリスエットのCMで4000人もの高校生が一斉に踊っているのがある。あれを見ると非常に複雑な気分になる。美しいと思う一方で怖さも感じる。北朝鮮のマスゲームと何が違うのだろう。

もちろん、CMの高校生は「自主的」に参加していて、北朝鮮のマスゲームは「強制的」に参加させられている、と答えることは可能だ。でも、本当にそうだろうか。むしろ「自主的」であることの方が、私には恐いことに思われてならない。

posted by 松村正直 at 22:24| Comment(2) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
それとはまたちょっと違うかもしれませんが、
酒井順子さんのエッセイ『「芸」と「能」』の、〈集団行動〉という小見出しの文章が面白かったです。ちょっと長くなりますが引きますと、
〈・・・・北朝鮮のマスゲームも、あそこまで行くと気持ち悪いとは思いつつも興奮している自分がいます。あの統率のとれっぷりからは、渡り鳥の群が方向転換するとか、ヌーが群れで川を渡るとか、その手の姿が想像され、「人間だからこそ、訓練如何によっていかなる集団行動も可能になる」と言うよりは、「人間も単なる動物に過ぎない」と思えてくるのでした。〉
とあって笑ってしまったのですが、集団行動って、そういえば不思議です。
酒井さんは、運動会の組体操を回想して、〈・・・・山の一部となって、個性などと言うやっかいなものが吹っ飛んだ瞬間の孤独が気持ち良かったのです。〉とか、〈集団行動は、見ている者のみならず動いている側からも、アドレナリンが出まくりなのではないか。〉などとも書いていて、うーーーーん 集団行動って何ーーーと最近わたしも考えている次第です。
長くなってすみません。
Posted by おがわ at 2018年10月07日 11:15
集団行動にある種の美しさを感じるのは間違いないですよね。マスゲームもそうだし、シンクロナイズドスイミングとか、水族館でイワシが群れて泳いでいるのを見ても、そう思います。

「見ている者」だけでなく「動いている側」にも興奮があるという点が、酒井さんの鋭いところですね。まさに、そこにこそ根深い問題があるのだと思います。

近年よく言われている社会の同調圧力というのも、強制されるという面だけでなく、自ら進んでそうするという一面があることを意識しておきたいです。


Posted by 松村正直 at 2018年10月09日 08:47
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