2015年から2018年の歌475首を収めた第11歌集。
「緑内障の進行がいちじるしく、なんとか読み書きのできるうちに自分の手で歌集稿を作りたいというのが、刊行を急いだ最大の理由だった」とあとがきにある。
いつよりかわが傘なくて覚えなき傘が立ちをり傘立ての中
昨日死にし教へ子は今日を知らぬなり生きゐる者の胸に生きゐて
転落死の人に添ひゐし盲導犬いづこにいかに引き取られしや
かすむ眼に一時間だけ見るテレビ十五日間はけふで終りぬ
蜻蛉にも重さのありて徒長枝をとびたつたびに尖端ふるふ
山茶花のかがやき咲ける下に立ち思はぬ冷えがからだをのぼる
小松菜とバナナのジュース注ぎたるコップを倒すかすみたる眼は
きこえぬは人を真顔にするものか写真のわれに笑顔のあらず
柚子一個黄のかがやきを置きたれば仏壇不意に奥を深くす
幾十年ここに聖なる桜ありき清めのごとく雪降りしきる
1首目、間違えて他人の傘を持って帰ってきてしまったのだ。
2首目、死とは「今日を知らぬ」ことだという気づき。「教へ子」が痛切。
3首目、亡くなった人ではなく付き添っていた盲導犬に思いを馳せている。
4首目、「十五日間」だけで大相撲のことだと読ませる歌。
5首目、蜻蛉の重さを詠むことで、そこに命を感じ取っている。
6首目、「からだをのぼる」に実感がある。寒さが足元から伝わってくる。
7首目、手作りの「小松菜とバナナのジュース」だから一層かなしい。
8首目、周りの人たちが笑っている中に、自分だけ真顔でいる寂しさ。
9首目、仏壇に灯りが点ったようになり、その奥に死者の世界が広がる。
10首目、伐られてしまった桜の木への鎮魂の思いがこもった歌。
こうして見てくると、命や死を詠んだ歌が多いことをあらためて感じる。
あとがきの最後は、「「まひる野」よ、ありがとう」という感謝の言葉で締めくくられている。
2018年8月1日、角川書店、3000円。
90歳。
『行きて帰る』『聖木立』と印象的な歌集でした。
ご冥福をお祈りします。