この歌壇時評では、歌集を直に扱うのはやめておこうと考えていた。と言うのは、私のように、歌壇配慮的な発想を嫌いながらも避け切れない者は、扱う歌集の取捨や選択のバランスを考えるだけで、かなり疲弊してしまうし、書けば書くほど総花的になり、ゆとりがあるはずの紙幅をほぼ費やしてしまうからである。人目など気にせずに本音で書くしかない、とは思うのだけれど、自分自身が意のままにならないもどかしさがある。ただ、そうは言うものの、先月、加藤治郎の新歌集を読んで、反射的につい書いてしまった。しかも、これから書こうとしているのは、加藤のそれと同時期に刊行された、穂村弘の新歌集『水中翼船炎上中』(講談社)についてなのである。お察しいただけるかとは思うけれど、この二人は、私にとって、たぶん特別な存在なのである。
何なんだろう、この言い訳がましい文章は。
ちょっと驚いてしまう。
加藤治郎の歌集も穂村弘の歌集もそれぞれ評判になった本で、時評で取り上げること自体には何の異論もない。ただ、この書き方はどうなんだ。
「お察しいただけるかとは思うけれど」って、一体読者に何を察しろと言うんだろう。歌集は取り上げないと決めていたけれど、この二人は私の特別なお友達だから取り上げるよっていうこと?
何だか非常に嫌なものを読まされてしまった。
この14行分は全部カットした方が良かったと思う。
(それ以外の部分は面白かったのだが)