小奴に似たる娼婦と啄木が五月の浮世小路をあゆむ
栗木京子『ランプの精』
石川啄木の『ローマ字日記』(明治42年)の5月1日に、次のような記述がある。(原文はローマ字表記)
ああ、その女は! 名は花子、年は十七。一眼見て予はすぐそう思った。
「ああ! 小奴だ! 小奴を二つ三つ若くした顔だ!」
程なくして予は、お菓子売りの薄汚い婆さんと共に、そこを出た。そして方々引っぱり廻されてのあげく、千束小学校の裏手の高い煉瓦塀の下へ出た。細い小路の両側は戸を閉めた裏長屋で、人通りは忘れてしまったようにない。月が照っている。
「浮世小路の奥へ来た!」と予は思った。
小奴は啄木が釧路時代に親しかった芸者の名前。浅草に隣接する千束は、江戸時代に吉原遊郭があった場所で、明治に入ってからも娼婦を斡旋する店が数多くあったようだ。
「年は十七」は数え年だろうから、満年齢では十五、六歳ということになる。
借金を返さぬ啄木 千束(せんぞく)の浮世小路ををみなとあゆむ
『ランプの精』
いやあ、啄木・・・。
はずかしながら有名なローマ字日記を未読なのですが、引用文中では「お菓子売りの薄汚い婆さん」と一緒に千束辺りを歩き回っているのでしょうか。で、栗木さんの歌ではそれを「娼婦とあゆむ」と読み替えているのでしょうか?
(細かいことですが、吉原は明治にも存在し、一応千束町とは別の地区です。小奴に似た娼婦は吉原の外の店にいる、いわゆる私娼なのでしょう。当時の男の感覚では女の数えで十七歳は普通に性愛の対象になりうる年齢なのでしょうね。)
栗木さんの歌は、コトが終った後の場面です。
【しんとした浮世小路の奥、月影水のごとき水道のわきに立っていると、やがて女が小路の薄暗い片側を下駄の音かろく駆けて来た。二人は並んで歩いた。時々そばへ寄って来ては、「本当にまたいらっしゃい、ね!」】
ローマ字日記は非常に面白いです。これは「日記」ではなく「私小説」だという説もあって、なるほどそうかもしれないと思っています。それくらい、他の啄木の日記とは違って描写も細かいです。
それにしても啄木・・・