2018年08月11日

牧野成一著 『日本語を翻訳するということ』


副題は「失われるもの、残るもの」。

翻訳のノウハウについての本ではなく、翻訳とは何かといった本質論、あるいは翻訳を通じて見えてくる日本語の特徴について論じた本である。

言葉というのは話者が世界をどのように見ているかという認知に深く関わっている。そのことが翻訳によって浮き彫りになるということだろう。

対象と距離を置いて客観的な事実を表現する際には口蓋破裂音を含む語が選ばれ、主観的な気持ちを表現するときは鼻音を使った語が選ばれているのではないかという仮説です。
比喩のない言語はないのですから、比喩は人間共通の「認知作用」に基づいているのではないか、という仮説が出てきます。
換喩は、一見、隣接要素の省略のように見えますが、実は省略ではありません。
受動文というのは、しばしば、主語の人間がコントロールできないような事態を表す主語の声、あるいは、それを言わせているナレーターの声なのです。
日本文学には受動の声がたくさん出てきますが、英語に翻訳する英語人は受動の声を原則として回避します。

金子みすゞの詩、芭蕉や蕪村の俳句、俵万智の短歌、夏目漱石や村上春樹の小説など、実例が豊富に挙げられていてわかりやすい。歌づくりのヒントにもなりそうな一冊だ。

2018年6月25日、中公新書、780円。


posted by 松村正直 at 11:28| Comment(0) | ことば・日本語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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