じゃあこれで失礼しますとにこやかにこの世去りたし桜咲く日に
岩切久美子
普段通りの感じであっさり死ぬことができれば良いのだが、それが非常に難しいことは作者自身もよくわかっている。結句、西行の歌を思い出す。
義貞が幕府破りし戦場(いくさば)の分倍河原(ぶばいがはら)に
妻と落ち合ふ 小林信也
京王線と南武線の駅がある分倍河原。「ばくふ」「やぶり」「いくさば」「ぶばいがはら」と続くB音が効果的で、上句と結句の落差がおもしろい。
をみなごの家に帰れぬ大勢のひひな並ぶを遠く見て過ぐ
干田智子
女の子が大きくなって不要になった雛人形が集められているのだろう。「をみなごの家に帰れぬ」が哀切で、人形にも命があることを感じさせる。
友からのメール開ければ本人の訃報届きぬ嘘のようなり
吉田淳美
関わりのあった人たちに、故人のアドレスから遺族が送ったメールだったのだ。「本人の訃報」という本来はあり得ない状況が何とも現代的である。
逢ひたいと思ふほどではないけれどセロリのやうな雨が降つてる
佐近田榮懿子
「セロリのやうな雨」という比喩がいい。セロリの細い筋や食べる時の音などをイメージした。雨を見ながらぼんやりと思い出す人がいるのである。
「ええ鮎が入つたさかい」と早口の女将は「ほなら」と電話切りたり
清水良郎
馴染みの店の女将からの誘いの電話。真っ直ぐでテンポの良い関西弁が女将の人柄をよく表している。すぐにでも店へ寄りたくなったのではないか。
洲の草を喰みゐし春のヌートリアするすると尾ものこさず川へ
篠野 京
近年、川でよく見かけるようになったヌートリア。体長40〜60センチとけっこう大きい。「尾も残さず」が良く、水に入る滑らかな動きが見えてくる。
四十歳(よんじゅう)を過ぎたあたりで未来から過去へと時間の
流れがかわる 竹田伊波礼
人生の半分を過ぎた頃から、残り時間を意識するようになるのだろう。それを「未来から過去へ」という言い方で表したところに実感がこもっている。