現代詩手帖特集版「塚本邦雄の宇宙」(2005年)収録の「「私」を離れた作歌貫く」の中で、岡井隆は
海底に夜ごとしづかに溶けゐつつあらむ。航空母艦も火夫も
塚本邦雄『水葬物語』
について、次のように書いている。
兵役適齢期に戦争末期をすごし、呉の海軍工廠に勤めていたという伝説があるから、この「航空母艦」なども、作者の私的な回想がらみのものと思ってもわるくない。しかし、そういう解釈は今までなされたことはなかった。
なるほど、そう言われればそうだなと思う。かつては「前衛短歌=反写実」という枠組みに縛られて、そうした私的な観点を避けようとする意識が強かったのだろう。
でも、塚本の初期作品を読み直してみると、私生活と結び付いていると思われる作品が意外なほどに多い。例えば、
揚雲雀くらき天心指しわれのむね芥子泥濕布(からしでいしつぷ)
が熱し 『日本人靈歌』
という歌も、塚本の肺結核による療養という背景に基づいて詠まれたものだろう。それを踏まえて鑑賞することに何の問題もないと思う。
先の「航空母艦」の歌にしても、例えば大戦末期の呉空襲を詠んだ
「大淀」も「利根」も沈める内海が記憶のなかに燦きやまず
島田修二『青夏』
といった歌とならべて鑑賞することも可能なのではないか。それは別に塚本の歌の価値を貶めることにはならない。むしろ塚本作品の特徴や前衛短歌の手法を、より鮮明に浮かび上がらすことになると思う。
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