副題は「北海道の三五六日」。
石川啄木は1907(明治40)年5月5日から翌1908(明治41)年4月24日まで、356日を北海道で過ごしている。この間、代用教員や新聞記者をしながら、函館、札幌、小樽、釧路と移り住んだ。
函館の青柳町こそかなしけれ
友の恋歌
矢ぐるまの花
しんとして幅広き街の
秋の夜の
玉蜀黍(たうもろこし)の焼くるにほひよ
かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
しらしらと氷かがやき
千鳥なく
釧路の海の冬の月かな
この北海道での生活は、啄木の人生や短歌に大きな影響を与えた。「『一握の砂』全五五一首中北海道に関わる歌は一三三首ある」という点だけを見ても、そのことはよくわかる。
以下、いくつか備忘として。
確かに日記や書簡には啄木独特のある種の“粉飾”が施されている事があるのは事実である。
啄木が有名になり出すのは一般的には土岐哀果(善麿)の奔走で漸く出版された『啄木全集 全三巻』(新潮社版 一九一九・大正八年)あたりからで、この『全集』はたちまち三十九版を重ね、啄木の名は全国的に広まった。
啄木には困難な状況に陥ると決まって彼をその困窮から救ってくれる誰かが現れるから不思議である。
北海道にはもう一度取材に行く必要がありそうだ。
2012年2月20日、社会評論社、2700円。