おかあさん ぼくは ひとりだ 発作の夜背をなでいれば二歳は
言いぬ 丸本ふみ
何度か発作を繰り返すうちに、自分の身体が苦しくても他の人は苦しくないという事実に気付いたのだ。ひらがなの一字空けが息苦しさを伝える。
ハム、チーズ、疲労、レタスを重ねたるサンドイッチをもそもそと食む
益田克行
「ハム、チーズ、レタス」だけならごく普通なのだが、そこに「疲労」が挟まっているのが面白い。疲労が何重にも蓄積しているような印象を受ける。
選択はしているようでさせられる「えだ」は結局一本なのだ
みずおち豊
自分の意志で選択しているようでいて実はそうではないことが多いという発見。何本も分かれている枝も、結局はそのうちの一つしか選べはしない。
入口も出口も同じほうにあり春のこの世にバスは傾く
川上まなみ
バスの扉は進行方向に向かって左側の側面にある。停留所で乗客が乗り降りすると、車体が左側に傾くのだ。「この世に」の一語で奥行きが出た。
亡きひとに来られなくなったひともいる昔の写真に記す名前を
森 祐子
何かの会の集合写真を見ている場面。もう二度と会えない人たちの名前をいとおしむように写真に書き入れてゆくのである。歳月のさびしさを感じる。
冬晴れの朝は斜めに影伸びて静物となる福井のメロン
冨田織江
卓上に置かれたメロンが、まるで静物画の中の光景のように動かずにあるのだろう。冬の朝の引き締まった冷たい空気の感じも伝わってくる。
広辞苑丑の時参りマニュアルのように細かく説明のあり
谷 活恵
思わず広辞苑を開いて見てしまった。「頭上に五徳をのせ、蝋燭をともして、手に釘と金槌とを携え・・・」と、確かに異様に詳しい。怖いなあ。
傾いた忠魂碑の立つ町営のグランドに今は桜の木なく
鳥ふさ子
戦前に建てられた忠魂碑なのだろう。「今は」とあるので、以前は桜の木があって春には花を咲かせていたのだ。戦後の長い歳月の経過を感じる。