ハッサクの名のいさぎよきひびきかな剥きゆくゆびにつゆしたたらず
後藤悦良
八朔という名前は確かにさっぱりとした感じがする音で、それが中身ともよく合っている。同じ柑橘類でも瑞々しくジューシーな伊予柑とは正反対。
かはうそのやうに腕よりすり抜けて息子が今日も歯を磨かない
澤村斉美
膝の上に子どもを仰向けに寝かして歯を磨こうとすると、嫌がって逃げ出すのだろう。「かはうそのやうに」という比喩にすばしっこさがよく出ている。
トンネルの出口大きくなりてきて実物大を車出でゆく
久岡貴子
長いトンネルで、最初は出口がとても小さく見えていたのだ。「実物大」がおもしろい。通過する時になって初めて本当の大きさが体感できる。
手探りに蛍光灯のスイッチを探して蚕のごとき我が指
小川和恵
真っ暗な部屋の壁に手を当ててスイッチを探しているところ。指を少しずつずらしていく感覚から「蚕」をイメージしたのが何ともなまなましい。
ぎつくり腰と素直に言へずに感冒と電話に告げて休みをもらふ
大木恵理子
「ぎつくり腰」(急性腰痛症)になったらしばらくは動くこともできない。何も恥ずかしがることはないのだが、言いにくい気持ちもよくわかる。
蔦沼へのお礼のはがきを差し入れぬLawsonの薄きポストのなかへ
佐原亜子
コンビニのレジ付近にある薄型の郵便入れ。「蔦沼」は地名だろうか、人名だろうか。不思議な沼のイメージが、ポストの穴の中に広がる感じがする。
座蒲団に眠るみどり子卓の上にみかんと並び置かれてありぬ
久次米俊子
「みどり子」と「みかん」の並列が印象的だ。しかもテーブルの上である。2首目以下を見ると、どうやらベトナムに旅行した時の歌のようだ。
死ののちを死者は生者のものとなり平手打ちした夜も明かさる
山下裕美
上句が非常に痛烈で痛切な言葉。生前は明かしていなかったことや、他人には知られたくなかった秘密まで、生者の都合のままに暴露されてしまう。