2008年から2015年の作品544首を収めた第6歌集。
「現代三十六歌仙」シリーズ31。
奇つ怪な形のままにふくらみて紙のマスクがベンチにわらふ
やり直しきかぬ齢と知る時に空也の脛を思はざらめや
玻璃のそと渡り廊下を行く人は両手に髪を押さへつつゆく
ゆつくりとカッターの刃を押し出してまた押し込める灯(ともしび)の下
もう少しゆけばかならず楽になる楽になるとぞ歩み来たれる
馬偏に主(あるじ)と書きてとどめ置く車ならざるまぼろしの馬
明日のため残し置かむと短編の半ばを過ぎてあかりを消しぬ
海を背に建つ良寛堂宝暦八年山本栄蔵生れしところ
菊姫で口を浄めてのどぐろのねめる刺身を舌に載せたり
指先は手術の痕に触れてをり一筋細く盛り上がる皮膚
1首目、使い終わったマスクが捨てられているところ。妙になまなましい。
2首目、有名な六波羅蜜寺の空也上人立像を思い浮かべているのだ。
3首目、建物と建物の間の渡り廊下を風が吹き抜けている。
4首目、目的があるわけではなく、何か考えごとをしているのだろう。
5首目、こう思いつつ最後まで「楽になる」ことがないのが人生か。
6首目、「駐」という字に「馬」がいることからの発想。
7首目、読み終えてしまうのがもったいないくらいの本だったのだ。
8首目、「山本栄蔵」は良寛の俗名。生まれた時はまだ「良寛」ではない。
9首目、日本酒と刺身の歌であるが、官能的な言葉選びになっている。
10首目、無意識に触ってしまって、手術のことを思い出すのである。
2018年5月10日、砂子屋書房、3000円。