王紅花さん発行の「夏暦(かれき)」48号には、夫・松平修文さんへの挽歌が載っている。
仏壇の何処のものとも知れぬ鍵置かれたり永久(とは)に知られぬならむ
健康な身体で動くはこんなにも簡単で駐車場へと向かふ
夫死にて時間があれば公園の老人グループの辺(へ)に缶ジュース飲む
末期(まつご)の苦しみにゐるあなたに愛すると言つてほしかつたなんてわたくし
1首目、どこの鍵だかわからない鍵が残されている寂しさ。
2首目、かつて病気の人を伴って歩いた時は大変だったのだろう。
3首目、ぽっかりと空いてしまった時間をぼんやりと過ごしている。
4首目、病気に苦しむ夫とともにいる作者にも長い苦しみがあったのだ。
夫との最後の日々を振り返って、王さんは次のように書く。
今の私には分からない。夫との最後の別れ方がどうだったのか。あれで良かったのか悪かったのか。その問いが今も私を苦しめる。泣きすがったら二人共思いが晴らせたのではないか。しかし今となっては、こうだった、という事実が厳然とあるばかりだ。そして私は、「言葉で言わなくても分かっているでしょう」と夫が思っていたと、信じる。
どこにも正解はない話だ。
でも、最後の「信じる」という一語にこめられた思いの強さに、深く共感する。
2018年5月25日、500円。