皆殺しの〈皆〉に女はふくまれず生かされてまた紫陽花となる
草原に火を芯として建つ包(パオ)のひとつひとつが乳房のかたち
そこだけは無毛の羊の腹のあたり切り裂きぬ前脚を摑みて
冬の虹途切れたままにきらめいて、きみの家族がわたしだけになる
何があったか全部言って、と迫るうちに蔓草の野となってしまった
紫陽花の重さを知っているひとだ 心のほかは何も見せない
ひとがひとに溺れることの、息継ぎのたびに海星(ひとで)を握り潰してしまう
1首目、戦いに負けて「皆殺し」にされるのは男たちで、女は戦利品として扱われることがしばしばあった。女性としての痛みを強く感じる歌。
2首目、モンゴルの旅行詠。パオの中央には炉があり、天井に明かり取りと煙出しの穴がある。「火を芯として」「乳房のかたち」という表現がいい。
3首目、羊を解体して内臓を取り出す場面か。生々しい臨場感がある。まるでそこから切るためのように「そこだけは無毛」であるのが痛ましい。
4首目、きみの父が亡くなった一連の歌。儚さを思わせる虹が、しかも「途切れたまま」架かっている。この世に二人だけ取り残されたように。
5首目、何か男女の修羅場を感じさせる歌だ。相手を強く問い詰め、追い詰めていった先に、寒々とした、荒涼とした心の風景が表れる。
6首目、下句、「心の奥は見せない」といった表現よりもっとどうすることもできない隔たり。作者も紫陽花の重さを知っているのかもしれない。
7首目、相手に対して身も心も溺れてゆくことの陶酔感と苦しさ。結句10音の字あまりと読むが、握り潰された海星の感触が生々しく伝わってくる。
歌集全体を読むと、よく使われる単語があることに気が付く。「火」「彫る」「狂う」「紫陽花」「虹」「喉仏」「手」「汗」「感情」「きれい」など。
原初的な感覚もありながら、それが相手や世界を包み込む大らかさには向かわず、剥き出しの切迫感と勢いを感じさせるところに作者の歌の特徴があるように思う。
2018年5月15日、書肆侃侃房、2000円。