1992年刊行の澤辺元一さんの第1歌集。
澤辺さんは2月2日に亡くなられた。92歳。
夜くらく昼なお昏き喪の日々の道の限りをまんじゅしゃげ咲く
ビルのなかに真白き昼の闇ありてファクシミリとおき文受けていつ
バス待ちて黙(もだ)保ちいる一団のばらばらの思考に陽があたりおり
沈丁の華のふりまく春の香にそそられているわれの尖端
ひとの死をさまざまに飾り人集うもののぶつかる音など立てて
唄い終えて歌手が少女にもどりゆく肌理の弛みの微細を映す
ビル先端の金具かなにかと見ていしが飛び立ちて虚(な)し冬の黒鳥
朝より眠れる少女バスの窓の硝子そこだけ曇らせながら
たかだかとボート運ばれゆきし街しばらく遠き海が匂えり
かすかなる重みを地(つち)に加えゆきわがまどろみの中に降る雪
死に至るまで鎖引摺りいしものの頸より冬の鎖を外す
電気代はつかに減りし計算書母亡きあとの暮らしの軽さ
マルクスの白い鬚レーニンの黒い鬚 わが戦後史の高処(たかみ)に
そよぐ
1首目、1984年に亡くなった高安国世への挽歌。
2首目、昼休みなどの無人のオフィスでFAXが受信しているところ。
3首目、下句が面白い。考えていることはみんな違う。
4首目、「尖端」という語の選びにエロスを感じる。
5首目、葬儀の場面。人々の様子を冷静に客観的に見ている。
6首目、歌っている間は大人びた感じだったのだろう。
7首目、高安国世の「虚像の鳩」を思わせる歌。
8首目、下句がいい。少女の吐息に曇っているのだろう。
9首目、トラックの荷台などに載せて運ばれるボート。
10首目、上句がいい。雪にもまた重みがあるということ。
11首目、飼犬の死を詠んだ歌。「冬の」が効いている。
12首目、「はつかに」に母のつましい暮らしぶりが表れている。
13首目、そう言えば二人とも鬚の生えた写真でおなじみだ。
永田和宏を坂田博義と呼び違えたる黒住嘉輝にはなお近き過去
1961年の坂田博義の自死は、何年経っても澤辺さんや黒住さんにとって忘れられない出来事であったのだ。「塔」2013年1月号の「澤辺元一インタビュー」の中でも、
永田 「塔」で一番思い出に残っていることって何ですか?
澤辺 残念やけれども、やっぱり坂田の顔が浮かんできよる、どうしても断ち切れん。寂しいなあ。
と答えている。50年以上経っても、その衝撃が消えることはなかった。
澤辺さんに関する思い出はたくさんあるのだが、亡くなった歌人を悼むにはその人の歌集を読むのが一番だと思う。ご冥福をお祈りします。
1992年2月26日、ながらみ書房、2500円。