新聞には連載小説の欄がある。
今、朝日新聞の朝刊では吉田修一「国宝」が連載されている。
第16章は「巨星墜つ」。
この「墜つ」は文語の上二段活用動詞の終止形で、口語なら「墜ちる」。
なぜここに文語が使われているのか、というのが今回の問題。
これは、もちろん慣用句のような一つの決まった言い方になっているからだろう。他にも、「天高く馬肥ゆる秋」(連体形)、「芸は身を助く」(終止形)など、ことわざでもしばしば文語の動詞を見かける。
では、次はどうか。
「六地蔵に現る」。
これは、慣用句でもことわざでもなく、マンションの宣伝広告のコピーである。
この「現る」は文語の下二段活用動詞の終止形で、口語なら「現れる」。
なぜ、ここに文語が使われているのだろう。
なぜ、「六地蔵に現れる」とせず「六地蔵に現る」としたのか。
これは、短歌における文語・口語の問題を考えるうえでも、大きなヒントになる事例だと思うのだ。