大松達知さんが「見せ消ちの光―『風のおとうと』を例に」という文章を書いている。短歌に出てくる否定表現をもとに『風のおとうと』を分析したもので、短歌全般に通じるすぐれた内容となっている。
歌集を読むことには、点滅する幻の光をつぎつぎに追うような感覚がある。現実の生活とは異なる定型のリズムに一瞬入り込み、すぐに出る。そしてまた次の歌のリズムに入り、すぐに出てゆく。その繰り返し。直前の光の残像はありながら、一瞬一瞬、消えてまた灯る光を見つづけるのが歌集の読み方だろう。
短歌における否定表現については、永田さんの見せ消ち理論(?)のほかに、真中さんの歌からもだいぶ学んだように思う。
前号に続いて僕も文章を書いている。タイトルは「狂歌から短歌へ」。
短歌史を考える際には、「和歌から短歌」という一本の流れだけでなく、「狂歌から短歌」というもう一つの流れを視野に入れておく必要がある。
というのが結論。文中にも引いているが、これは安田純生さんと吉岡生夫さんの文章や講演から学んだ部分が多い。特に口語短歌の歴史を考える際に、狂歌は無視できない存在だろうと思っている。