「塔」の昭和48年〜49年生まれの会員5名による同人誌。
でもたぶんぽかんと明るいこの窓が失うことにもっとも近い
山里に蛙の声をききながら夜の広さを確かめている
乙部真実
1首目、明るさと喪失感はどこか通じ合うものがある。「でも」という入り方と平仮名の多さが印象的。2首目、あちこちから聞こえる蛙の鳴き声に空間の広がりを感じている。
くさむらに足踏みいればぬかるみはきのうの雨をあふれさせたり
中田明子
「きのうの雨」という表現がいい。ぬかるみから滲み出る水は、作者の心にある何かの感情のようでもある。
芽キャベツのひとつひとつを湯に落としつつさよならを受け入れてゆく
池田行謙
芽キャベツを茎からもいで湯がいているところ。「落とし/つつ」の句跨りに、自分を納得させるまでの逡巡が滲む。
画のなかの森の小道の明るさよ秋になりても実をつけぬ森
画のなかの風を感じて吾が身体(からだ)粗き点描にほどけてゆけり
加茂直樹
絵の中の世界と現実の世界が交錯する歌。1首目、「実をつけぬ」と言うことによって、反対に実を付けるイメージが立ち上がる。2首目、絵を見ているうちに私が絵の一部になっていくような感覚。
健闘と呼ばるる勝ちはなしひたひたと蛇口を落つる水滴の冴ゆ
永田 淳
「健闘」は、負けたけどよく頑張ったという時に使う言葉。でも、負けは負けなので素直には喜べない複雑な感じがするのだろう。
淳さんが「創刊の辞」に
一九七〇年生まれの塔会員、つまり松村正直、荻原伸、梶原さい子、芦田美香がやたらと仲良しイメージを演出していることに対抗したかった
と書いている。
いえいえ、そんなことはないですって。(笑)