一昨日のクロストーク「絵画と短歌」では絵画を詠んだ自作の歌についても話をしたのだが、僕が絵を詠んだ歌が他にもあるのを参加者の方が見つけて下さった。
手の指にも足の指にも表情があること、しろく横たわる裸婦
その画家のそばにはいつも猫がいて気が向けば入る絵の中にまで
「塔」2016年11月号
兵庫県立美術館で「藤田嗣治展 東と西を結ぶ絵画」を見に行った時の歌である。
http://matsutanka.seesaa.net/article/440777913.html
また、昨日の鼎談「佐藤佐太郎の歌の魅力」の中で、尾崎左永子さんが
箱根なる強羅公園にみとめたる菊科の花いはば無害先端技術(昭60)
佐藤佐太郎『黄月』
を引いて「茂吉の歌を踏まえている」とおっしゃっていたのだが、今日それを見つけた。
大石のうへに草生ふるころとなり菊科の花が一つにほへる
斎藤茂吉『つきかげ』
昭和24年、茂吉67歳の歌である。
この歌は佐太郎の『茂吉秀歌 下巻』にも取り上げられている。
これも箱根の作。強羅公園などで大きな石を見ているのだろう。石のひだのようなところに土がたまり、そこに草が生え、夏も末になって花が咲きはじめたところである。状景が簡素であり、歌も簡素である。花は野菊などだろうと思うが、それを「菊科の花が一つにほへる」といったのがいい。(以下略)
なるほど、「菊科の花」という言い方はここから取られているのだ。
佐太郎の歌は昭和60年、75歳の時のもの。
茂吉は死の4年前、佐太郎は死の2年前。
いずれも最晩年の作である。