入口のスイッチボックスのON押せばすなはち点る玄室の電気
岩野伸子
古墳を見学した時の歌。スイッチボックスや電気はもちろん観光用に新しく付けられたもので、ちょっとした違和感が滲む。「すなはち」がいい。
いくたびも謝らるるを夜の薊、許すほどわたし偉くはないよ
上條節子
「夜の薊」が突然入って来るところが面白い。下句は「私が許すかどうか決めることではない」という意味だけでなく、許せないという思いでもあるのだろう。
帰宅する私と帰宅する君のあいだで咲いてしぼむユウガオ
多田なの
夕方に咲いて翌朝に萎むユウガオ。「私」は昼間に働き、「君」は夜に働くすれ違いの生活。せっかく咲いた花を君に見せられないのが残念なのだ。
今はもう手元にはない靴べらは詠みたる歌の中に残れり
黒木孝子
靴べらはもう無くなってしまったけれど、その靴べらを詠んだ歌はいつまでも残り続ける。なるほど、短歌にはこういう役割があるのかもしれない。
背後から破線のごとくサンダルの音がして子がわれにぶつかる
北辻千展
「破線のごとく」がサンダル履きの子の走る様子をうまく捉えている。最初は音だけが聞こえて結句で「子」が登場する語順も、臨場感を生み出している。
唐きびを上手に食めば残りたる歯の抜けあとのようなきび殻
三浦こうこ
下句の比喩が秀逸。言われてみれば確かに歯の抜けた歯茎のような姿をしている。そんなことを考えていると、気味悪くて食べられなくなりそうだけれど。
職場にはいくつか席の「島」があり南の島で端末を打つ
沼尻つた子
何個かのデスクのまとまりを「島」と名付けるのは珍しくないが、そこから「南の島」に飛躍したところがいい。南国イメージと仕事との落差が印象に残る。
両腕をあげて病む子は眠りをり赤子のときの姿勢のままに
野島光世
緩和病棟に入院している娘さんを詠んだ歌。死がもう遠くない娘を見守りながら、かつて娘が生まれたばかりの頃のことを思い出している。何とも切ない。