怒鳴り合う声壁ごしに聞きながら冷やしうどんにちぎる青紫蘇
佐藤涼子
マンションの隣りの部屋から聞こえる喧嘩の声を聞きながら、食事の支度をしているところ。「ちぎる」という動詞の選びに作者のやるせない心情が滲む。
抱擁は苦しむかたち 波打ってシャツに張り付く男の背中
竹田伊波礼
「抱擁」と言うと普通は喜びや満足のイメージがあるのだが、それを「苦しみ」と捉えたのが秀逸。「波打って」に強く激しい抱擁の様子がよく出ている。
おまへとは妻よりも長い仲なりき口の開きし山靴を捨つ
益田克行
独身時代から愛用していた登山靴。最後にしみじみと語り掛けるようにして捨てる場面。「山靴」という言い方が山に慣れている人の感じを伝えている。
もういない人ばかり思い出すことの、水を含んだ口が涼しい
川上まなみ
三句を「の、」でつなぐ短歌ならではの文体。結句の「涼しい」がいい。水の冷たさとともに記憶の持つ清涼感のようなものが伝わってくる。
ひとつづつさくらんぼに種 ひとりづつひとは向き合ふ種のをはりに
栗山洋子
さくらんぼは一つの実に一つの種が入っている。一連の流れの中で読むと、三句以下は人生の終わりに一人で向き合うというイメージなのだろう。
長雨のあとの夏空はればれとフェイスブックを今日やめました
垣野俊一郎
初・二句が「はればれと」を導く序詞になっている。おそらく煩わしいことの多かったフェイスブックを、晴れ晴れとした気分で止めたのだ。
嫌いって認めてしまえば嫌いになる絹豆腐に刃をやさしく入れる
魚谷真梨子
感情は口に出したりして自分で認めてしまうと、決定的なものになってしまう。「絹豆腐」の柔らかな質感のようにさらりとやり過ごすことも大切だ。
紫陽花を挿木で増やす休むことの増えたる祖母の広き窓まで
白水裕子
ベッドで過ごすことの多くなった祖母にも見えるように、紫陽花を増やしているのである。「広き窓」という言葉に明るさと優しさが溢れている。