2017年09月27日

松本典子歌集 『裸眼で触れる』



2010年から2017年までの作品338首を収めた第3歌集。

さくらふぶきに紛れてビラを差し出さるわが街に霊苑はいらぬと
われの眼をとぢれば逝きしひとの眼がひらきて仰ぐこのさくらばな
見まはせば生きかた無限にあるやうなハンコ屋にわが姓ひとつを選ぶ
遠からず奇貨と呼ばれて籃(かご)に揺れむ遺伝子組み換へではない子ども
みづみづと洗はれし萵苣(ちしや)の葉のやうな夏さみどりの傘を巻き閉づ
みかん畠見にゆき命落としたる曾祖父はそれを原爆と知らず
わたくし似いもうと似なる市松をならべて母のひとり居しづか
生み忘れゐし子のごとく梅雨葵ぬつと現る乳ぶさのまへに
雨の日に咲けば雨しか知らぬまま朝顔は青き傘すぼめたり
おもてに傷を受けつつ氷るみづうみの底ひにてなほ揺れやまぬみづ

1首目、霊苑建設に反対する運動のビラなのだろう。桜と墓地のイメージの取り合わせ。
2首目、桜というのはやはり命や死を感じさせる花だ。
3首目、数多くハンコは並んでいるけれども自分の姓は一つしかない。人生も同じ。
4首目、大豆やトウモロコシだけでなく人間もやがて「遺伝子組み換へ」で生まれる日が来るかもしれないという思い。
5首目、上句の比喩がおもしろい。傘の外周が少しひらひらしているのだろう。
6首目、原爆で亡くなった曾祖父。何が起きたのかを理解することもなく。
7首目、ひとり暮らしの母の寂しさが滲む。二体の市松人形。
8首目、「生み忘れゐし子」という表現に驚く。「生んで忘れていた子」ではなく「生むのを忘れていた子、生み損なった子」のことだろう。
9首目、一日花なのでその日の天気がすべて。「雨」から「傘」という見立てへ連想が働く。
10首目、湖の描写でありつつ人の心をイメージさせるところが巧い。

原発、日中関係、シリア内戦など社会問題を詠んだ歌も多い。「フィルターばかり増え、人も真実も見えにくい時代にあって、裸眼で触れることを心がけたいという思いから名づけた歌集である」とあとがきに書かれている。

2017年9月1日、短歌研究社、2000円。

posted by 松村正直 at 07:16| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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