実家に置いてあるという認識の部屋にまだある息子のものが
石本照子
もう家を出てから相当な歳月が過ぎた息子さんだろう。「実家に置いてある」とは言っても、取りに来ることはないし、二度と使ったりはしないのだ。
往きて帰る鉄路五時間三千円たれも知らないけふのわたくし
鮫島浩子
一人で日帰りの旅にでも出かけたのか。「五時間三千円」という具体がいい。日常を離れた自分だけの時間。自分が今そこにいることは家族も知らない。
二巻より親しみていし漫画本一巻を買いしのち手放せり
山下裕美
謎解きのような不思議な味わいがある。欠けていた一巻が揃ったことで、漫画を読み終えてしまったのだ。読み終えたらもう手元に置いておく必要はない。
九十の郷土史家は指を折り今まだ疑問が九つあると
澁谷義人
九十歳という年齢にもかかわらず、まだまだ調べたい課題をたくさん持っている。調べ終わるということはないのだろう。その意欲と元気に圧倒される。
中古本『紅』購いて裕子さんの青きペン字の署名も得たり
向山文昭
『紅』は1991年刊行の河野裕子さんの第5歌集。「署名も得たり」がいい。本を開くと署名があって、思いがけぬプレゼントのように感じたのだろう。
心が今、皮を剥かれた枇杷のよう。涙が勝手に溢れてくるのだ
金田光世
上句の比喩がとても印象的な歌。まさに剥き出しといった感じの心が何とも痛々しい。枇杷の実の傷みやすさとも響き合って、作者の悲しみが伝わる。
「神水館」の湯に浸かるのがステータスとされし戦後の賑はひ偲ぶ
K田英雄
戦後の娯楽の少なかった頃には多くの人が憧れた格式のある宿。今ではあまり客も多くなく、ひっそりとしているのだ。そんな温泉にのんびり浸かる作者。
終わり方がふっくらとして素敵でした。
始まりと終わり、勉強にもなります。
「勉強」はしなくていいですよ。参考にして下さい。