さかのぼること許されて琺瑯のボウルに乾燥椎茸もどる
福西直美
時間を巻き戻すように膨らんでゆく椎茸。初・二句の把握が印象的で、反対に、現実にはさかのぼることが不可能な時間というものを思わせる。
映画って便利だ海にいないとき並んで海を見た気になれる
小松 岬
確かに映画館のスクリーンは横に広くて、画面が海のようでもある。好きな人と一緒に映画を見ていると、海に行ったような気分になれるのだ。
にわとりがにわとりの姿のままで眠っている零度のショーケース
鈴木晴香
パリに住んでいる作者。肉屋でにわとりが、生きていた時の姿を思わせる形で売られているのだろう。「零度」がいい。日本ではあまり見られない光景。
四人子の通り道としこれまでのわれありと思う子を産み終えて
矢澤麻子
自分の身体や存在を「四人子の通り道」と言い切ったところに強さがあり印象に残る。別の世界とこの世をつなぐ通り道となっているのだろう。
めしいなる犬は鼻から電柱にぶつかりて後ゆまりをかけたり
永久保英敏
年老いた犬の姿がありありと見えてくる一首。「ぶつかりて」が何とも哀しい。それでもやはり昔からの習性で、おしっこは電柱にかけるのだ。
あの一番低いマンションがうちです、と告げて別るる雨の街角
逢坂みずき
誰かに家の近くまで送ってもらったのだろう。家までは来ないで、マンションが見えるあたりで別れるというところに、相手との距離感が出ている。
いく筋か黒く流るる水ありてわさび田と知りぬ春の雪ふかし
坂東茂子
雪の積もる中に筋をなして流れている水。「黒く」と言ったのが良くて、反対に雪の白さも浮かび上がる。結句の字余りも雪の深さを感じさせて効果的。