少し奥に切り株ひとつあつたはず 鳥の声して深くなる森
亀谷たま江
以前にも歩いたことのある森のなかの道。かつての記憶と重ね合わせるように少しずつ奥へ奥へと歩みを進めていく。
障泥烏賊(あふりいか)は一匹だけで泳ぎます 髪きられつつ
耳は聴きをり 谷口純子
美容院の座席で聞いている話。アオリイカの大きなひれを馬の泥除けに見立てて「障泥(あおり)」という名前が付いたらしい。
籐椅子に眠りは徐々に滴りて指につめたいよどみとなりぬ
万造寺ようこ
籐椅子に掛けながらうつらうつらしている感じがうまく表現されている。だらりと腕が垂れて、指先が少しずつ冷えていくのだ。
何をなした人にはあらねど曾祖父の曾孫としての我だと思う
相原かろ
有名人でも偉人でもないけれど、その人がいなければ今ここに自分はいないという思い。「曾祖父の曾孫」と言葉を重ねたのがいい。
ちりとりの緑がいちばん鮮やかで桜の根もとに立てかけてあり
河原篤子
周囲の風景の中で一番鮮やかで目に付くのだろう。桜の木や庭の様々なものよりも、何でもないちりとりの存在感が上回っている。
妻のなき父と夫のなき吾と桜紅葉の堤を歩く
吉川敬子
それぞれ伴侶をなくした父と娘の散歩。お互いに何も言わなくても心が通じ合うのは、やはり親子ならではという気がする。
鍋、薬缶、かつて光っていたものを集めて磨く春が来たので
中山悦子
斎藤史の「うすいがらすも磨いて待たう」を思い出す。でも、こちらの歌が磨くのは鍋や薬缶。家庭の生活感が溢れている。
ドーナツの油でべたつく指の先舐めたる舌は口中に消ゆ
筑井悦子
自分ではなく誰かの舌だろう。舌が口の中に入るのは当り前のことなのだが、「口中に消ゆ」と表現するとまるで手品のようで面白い。