寺井龍哉、大井学、浅野大輝、濱松哲朗、花笠海月の計5篇の論考が載っている。A5判、104ページという厚さ。
濱松哲朗「これからの「短歌史」のために」は、2007年の佐佐木幸綱と私の論争を取り上げたもの。
あの論争が不毛な言い争いに終わってしまったのはなぜなのか。濱松は双方が前提とする文脈が大きく違っていたことを、佐佐木と私それぞれの作品や評論なども踏まえて丁寧に論じている。
非常にスリリングでおもしろく、また、納得のいく内容であった。
私は論争の当事者だったわけだが、当事者だからと言って論争の全体図がわかっているわけではなく、むしろ当事者ゆえに見えない部分が多いのだろうと思う。今回、濱松さんの詳しい解説を読んで、初めて「なるほど、そうだったのか!」と気づくところがたくさんあった。
松村の評論は、一首のうちに描かれた〈われ〉以上に、その〈われ〉に課せられた「運命」や、そう書かざるを得なかった「作者」の「運命」を追ったものが多い。
松村は時に「行動を選択しない〈われ〉」を作中に描くことがある。
こうした指摘も、自分ではあまり意識していなかったけれど、確かにそうだなと思う。自分の中にある何かが、評論にも歌にもやはり抜きがたく滲み出ているのだろう。
2017年5月7日、H2O企画、700円。