とかげのごと目蓋おしあげうたたねの母がときどきわたしを
さがす 上條節子
「目蓋おしあげ」から高齢の母の様子がよく伝わってくる。作者の姿が近くに見えないと不安になるのだろう。
閑職に移されへこむわれでなし へこんだふりはせねばなら
ぬが 森尻理恵
人事異動により閑職に回された作者。それくらいのことでは落ち込まない強さを持っているが、職場における駆け引きや戦いはまだ続く。
由比ヶ浜に唐船朽ちてゆくまでを実朝の聞きていし波の音
山下裕美
源実朝が宋に渡る計画を立て唐船を建造させた歴史を踏まえた歌。計画が失敗に終わって朽ちてゆく船をどんな思いで見ていたのか。
ゴールして抱へられゆく少女から冬枝のごとき腕(かひな)の
垂れる 広瀬明子
マラソンを走り終えた女子選手の細い腕を「冬枝」に喩えているところが生々しい。鍛えられた肉体ではあるけれど、可哀そうにも感じる。
厨房で何かもめてる中華屋のアンニンドーフだけ聴き取れる
相原かろ
言い合いをする中国語が飛び交っているのだろう。杏仁豆腐という言葉だけが意味のあるものとして、かろうじて聞き取れるのだ。
清潔なロビーのようなこのひとの心に落とす夜のどんぐり
白水麻衣
少しよそよそしさもあって、相手の心に入り込めない感じがするのだろう。少しでもいいから自分の存在や思いを伝えたいのだ。
おまえも早く寝たほうがいいふりむけば遠赤外線ストーブの立つ
小川ちとせ
上句は誰かの台詞なのだろうが、まるでストーブが話し掛けたような感じがするのが面白い。離れた所から自分を見守ってくれている。
熾の上に灰のうつすら積る見ゆこの淋しさは人間のもの
高橋ひろ子
下句の思い切った断定がいい。暖炉や火鉢にある熾火に灰が白く積もっている場面。火の赤さは表からは見えずひっそりと静まっている。