2017年04月27日

大辻隆弘歌集 『景徳鎮』

2011年から2014年までの作品357首を収めた第8歌集。
父の入院や死を詠んだ歌と終わりの方にある相聞歌に注目した。

神田川の濁れる水を撓ませて舷(ふなべり)ひくき汽船がのぼる
通勤はわが旅にして朝霧のいまだ漂ふ谿(たに)ひとつ越ゆ
稀勢の里の取組ももう見なくなり北窓の部屋に父はまどろむ
いま窓を過ぎしは鵯(ひよ)かしらじらと梅咲く枝に影を落として
聴覚は終(つひ)に残ると言ひしかどそを確かめむ術(すべ)はもう無い
翅の音はゆるく記憶を攪拌す藤の匂ひに熊蜂がきて
ボルヴィックの水をたづさへわれは立つ丸木位里「原爆の図」の前
夜をこめて悲しみをれば悲しみは鈍き疲れとなりて鎮もる
背を反らし浅き嗽ひをするひとよあなたの喉に水はせせらぐ
夕部屋に銀のひかりの檻を編むふたりの指をしんと撓めて

1首目、「撓ませて」「舷ひくき」といった表現が巧み。
2首目、日常の中にふと旅を感じる心。
3首目、相撲の好きな父だったのだろう。もうその気力もない。
4首目、一瞬窓を過ぎった影の正体を想像している。
5首目、死を前にした父の姿。結句だけ「もう無い」と口語にしたところに感情が滲む。
6首目、ブ〜ンという低音の翅音に呼び覚まされるようにして何かを思い出す。
7首目、原爆と水の取り合わせ。日本の水でもアメリカの水でもなく、フランスの水であるところがうまい。
8首目、「悲しみ」という感情が「疲れ」という身体的な感覚になって鎮まりゆくまで。
9首目、嗽をしているだけの場面なのだが、健康的なエロスを感じる。
10首目、「檻を編む」という比喩がいい。その中に二人で閉じ込められているような気分。

2017年3月20日、砂子屋書房、2800円。
posted by 松村正直 at 20:40| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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