その時に詠んだ作品が『現代短歌叢書 第九巻』(昭和15年、弘文堂書房)にある。この本は新書サイズで、五島茂、柳田新太郎、前川佐美雄、坪野哲久、五島美代子の5名の歌を収録している。
柳田は他の4名とは異なり、ここに短歌ではなく14篇の「新長歌」を載せている。新長歌とは何であるか。柳田はあとがきの中で次のように説明する。
もはや一首の短歌によつて表現されるには、私たちの現実生活から生れる感情は複雑に過ぎる。これを表現するためには勢ひ連作、群作とならざるを得ない。だが、それでは短歌本来の性格を冒すものとならう。
一首の短歌に表現することが困難なら、昔ながらの長歌といふ形式があるではないか。これを新しく現代に活かさうとしたのが、私のこれらの一聯の作品、所謂「新長歌」である。
どこかで聞いたことのある論理の展開だなあと思って、桑原武夫の「短歌の運命」を思い出した。桑原はこんなふうに書いている。
現代短歌は「近代化」をめざすに相違ない。しかし、それをつづけて行くうちに、がんらい複雑な近代精神は三十一字には入りきらぬものであるから、その矛盾がだんだんあらわになり、和歌としての美しさを失い、これなら一そ散文詩か散文にした方がよいのではないか、ということがわかり、(…)短歌は民衆から捨てられるということになるであろう。
戦後の昭和22年の文章である。第二芸術論は敗戦の影響で生まれたとよく言われるが、何のことはない、こうした短歌滅亡論自体は戦前からずっと続いていたものなのだ。