山野井が「山野井博史」の名でも作品を発表していたという事実を手掛かりに、今回二つの資料を入手した。
一つは新日本歌人協会編『人民短歌選集』(伊藤書店、1948)。
赤木健介、大岡博、岡部文夫、小名木綱夫、窪田章一郎、館山一子、坪野哲久、土岐善麿、中野菊夫、矢代東村、山田あき、渡辺順三ら53名のアンソロジーである。
その中に、山野井博史「戦後」20首がある。
ねずみの巣の如き屋根裏をわが家と妻子とくらす『焼け出され』われは
雨風のただに吹きこむ屋根裏も我が家と思う住みつかんとす
という戦後の厳しい生活を詠んだ歌がある一方で、
私が盗んだのだからわるいのよといいながら死んでいつたと書いてある南瓜ひとつ
性欲も食欲も充たされぬままのその眼の色をさげすんで済むことではない
など、自由律のような作品も含まれている。
もう一つは、山野井博史作詞、山田耕筰作曲の「つばくろの歌」「焦土の秋」である。「つばくろの歌」は1945年9月の作品(初出は『音楽文化』3巻2号、1945年10・11月号)で、山田耕筰が戦後最初に手掛けたものであるらしい。「焦土の秋」も同じ時期のもの。
http://www.craftone.co.jp/yamada_k/KYS_006.html
葉桜の 南の風に
かえり来し つばくろよ
宮居(みやい)をめぐる いらかはいずこ
焼けにし跡に 緑はめぐむ
火の雨に 燃えしと知らず
さまよえる つばくろよ
やさしき人の 住居(すまい)はいずこ
焼けにし跡に 柳は揺るる
「つばくろの歌」の1番と3番を引いた。
5・7・5・5・7・7・7・7という音数になっている。
空襲で焼けてしまった東京の町にやって来た燕を詠んだ内容だ。
山野井洋と山田耕筰、二人の接点はどこにあったのだろうか。
祖父の遺品を久しぶりに整理してみると、山野井洋作歌、山田耕作作家やの楽譜がありました。
中野中隊出陣の歌、昭和20年7月3日作曲のものです。
まずは、ご報告まで。
このたびは耳寄りな情報をお寄せいただき、ありがとうございます。戦時中から山野井洋と山田耕筰のペアで曲を作っていたのですね。「中野中隊出陣の歌」については全く知りませんでした。貴重な資料だと思います。こちらでも調べてみます。