『樺太を訪れた歌人たち』の中で、山野井洋という歌人のことを取り上げた。これまで詳しい経歴などがほとんど知られていなかった人物である。
その山野井洋のご子息とたまたま連絡を取ることができ、おととい東京でお会いしてお話をうかがってきた。何とも言えず嬉しい。
いくつもの新たな情報を得ることができたので、備忘のために書いておきたい。
○1908年生まれ、1991年逝去(82歳)。
○歌集『わが亜寒帯』の再版本には、初版にはない「批評抄」が付いている。
○昭和13年に樺太から東京に移って以降は東京暮らし。第2歌集で満州の開拓地を詠んでいるのは、旅行による滞在の結果である。
○戦後は保険の業界紙のコラムを書くなど、文筆業で生計を立てた。
○「山野井博史」の名でも作品を発表しており、山野井作詞・山田耕筰作曲の曲がいくつか残されている。
今回お聞きした話をもとに、今後もさらに調査研究を続けていきたい。
・「洋」の読み方がヒロシでまちがいないこと
・父の樺太移住により洋も樺太に住むことになったこと
・第二歌集の書名の読み方
も備忘録の中に加えておいてください。
第3、4項は『樺太を訪れた歌人たち』225頁の訂正・追記ですね。そのことを記し、新しく得られた情報も加え、とくに第二歌集について詳しく紹介する「再説山野井洋」のような文章をぜひ書いてください。
いろいろと収穫がありましたね。
山野井洋については、機会を見つけてまたどこかに書いてみたいと思います。