珈琲に息ふきかけてはつふゆの湖面のように晴れてゆく湯気
安田 茜
珈琲から立ち昇る湯気を湖面の霧に喩えているところが鮮やか。スケールの全く違うものが比喩によって一瞬で結び付く。
お母さんも喘息ですね かつてのわが苦しみまでも名を付け
られぬ 丸本ふみ
子が喘息で苦しんでいるのだろう。医師が軽い気持ちで言った言葉を聞いて、子の病気が自分のせいなのかと思い悩むのである。
自転車ごと乗りこむ二両の飯坂線冬の帽子を目深にかぶり
佐藤涼子
近年、自転車を車内に持ち込めるサイクルトレインが少しずつ広がっている。「二両」というところからローカル線の様子も伝わる。
ピーマンは豊かに稔り実の中にいま満ちてゐむみどりの光
高橋ひろ子
畑に実るピーマンを見ながら、その中に入ってみたかのような想像をしている。ピーマンには空洞があるので、小人なら住めそうだ。
晩年は光届かぬ目となりし画家のまなうらに光る睡蓮
魚谷真梨子
モネのことだろう。目が見えないと言わずに「光届かぬ目」と表現したのがいい。自分がかつて描いた作品が目の奥で光っている。
明け方のどこかで犬が鳴いてゐる声のまはりを滲ませながら
岡部かずみ
下句がおもしろい。鳴き声だけを聞きながら、そのまわりの空気の震えのようなものを感じ取っている。そこだけがほのかに明るい感じ。
ピーマンの稔りの実の中、緑の光満ちているという。実際には緑の光はいかがであろうか。でもこのようにいわれるとそのように思われるのである、これが詩の在りよう。