2017年01月16日

『ポケモンの神話学』 のつづき

「ポケモン」の生みの親であるゲームクリエイター田尻智さんは東京都町田市で少年時代を過ごしている。その生活環境はポケモン誕生にも大きく関わっていたらしい。本書で引かれているインタビューの中で、田尻さんは次のように語っている。

田尻 町田はその頃、名前だけは東京都のうちってことになっていましたけれど、まだまったくの郊外の田舎で、広々とした田んぼや森が残っていたんです。ぼくはそういうところで育って、田んぼや森で虫を取ったり、ザリガニを飼育するのが好きな子どもでした。
田尻 ぼくの住んでいた町田も、急激な変化をおこして、都市化して、土がどんどんなくなっていきました。田んぼや森があったところが造成地になって、つぎつぎに家が建てられていきました。

ああ、そうだったのかと、個人的にとても納得するところがあった。私も町田市で少年時代を過ごしたので、こうした話が自分自身の体験としてよくわかるのである。田尻さんは私より5歳年上であるが、育った環境には共通点が多い。

以前、私の兄が書いた文章の中から、私の育った地域の様子を引いてみよう。http://nora-yokohama.org/reading/archives/2009/0701000009/

家から高級住宅街を抜けると、里山があるはずでした。この坂を登り切ると、そこには畑が拡がっているはずだ、と思って歩くと、そこは住宅地になっていました。この坂を下りていくと、そこにはぬかるんだ湿地があるはずだ、と思って歩いていくと、やはりそこも住宅地になっていました。
かつて、私の町の周りは東西南北どこへ行っても、田畑や雑木林が拡がっていました。友だちと一緒に自転車を飛ばし、普段遊び慣れている町を越えると、カブトムシを取る雑木林や、ザリガニを釣り、オタマジャクシをすくう谷戸がありました。

少年時代の暮らしの近くにあった田畑や雑木林。それらはやがて開発のために失われてしまったのだが、今でも私の記憶の深くに眠っている風景である。ポケモンというゲームが私にとってどこか懐かしい感じがするのは、なるほどそういう理由だったのだ。

posted by 松村正直 at 20:49| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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