1989年に河出書房新社より刊行された単行本『ことば読本―やまとことば』を再編集したもの。
副題は「美しい日本語を究める」、帯にも「日本人の心にひびく大和言葉の秘密」とあって、何だかなあと思うのだが、内容は日本語に関する上質なエッセイや論考のアンソロジーである。
丸谷才一、大岡信、田辺聖子、井上ひさし、森鴎外、柳田國男、山本健吉ら18篇の文章が載っていて、どれも面白い。
個人としての好みを言えば、私は考えるという言葉よりは思うという言葉の方が好きである。考えるという言葉は何か理性的で冷く、鋭く、そして狭くひびく。思うという言葉は茫洋としていて、それで何かあたたかく深いような感じがする。
宮柊二「「思う」という言葉」
実は「あはれ」という言葉は、古くは「アファレ」と発音されていた。その「ファ」を強めると「アッパレ」になるんですね。つまり「あはれ」が示す感動を明るいほうの意味に寄せて――感心した、賛成だ、お見事だという場合は、「アッパレ」になったんです。
大野晋「感動詞アイウエオ(対談)」
『日本書紀』を訓読しえたとき得られたものは、原文の意味に対応するとして再建された日本語であっても、『日本書紀』を書いた人々の頭にあったものと同じであるとはいえまい。
山田俊雄「日本語語彙―固有語と外来要素」
若し現代の語が、現代人の生活の如何程微細な部分迄も、表象することの出来るものであつたなら、故らに、死語や古語を復活させて来る必要はないであらうが、さうでない限りは、更に死語や古語も蘇らさないではゐられない。
折口信夫「古語復活論」
「故らに」は「ことさらに」。
どの人の論も切れ味が良いので、読んでいて刺激的である。
2003年3月20日発行、2015年7月30日新装版発行、河出文庫、680円。