2016年12月08日

山野井洋と幼児(その5)

山野井洋はまだ樺太に住んでいた頃、『樺太人物論』(昭和12年)所収の「九鬼左馬之助論」に、こんなことを書いている。

 樺太庁関係の役人の中で彼くらゐ覇気にみちた鼻ツぱりの強い男はなからう。彼の覇気とは単なる強がりでなくて、身うちにあり余る実力と情熱の噴出の謂である。
 彼の魅力は彼が未完成の人物だといふ感じをすぐ対者に与へながら、とてつもなく博学であり、人の眼の玉を射るごとくみつめながらズバズバ物をいふ、将来大成する器かも知れぬといふ感じは、彼と対座してゐて大ていの人は思はせられるらしい。

山野井が九鬼という人間を非常に高く評価している様子が伝わってくる文章だ。さらに、こんなエピソードも書いている。

昨年の話、或人が腎臓を悪くして、はるばる東大へ診て貰ひに出掛けたところ
「腎臓だつたら何も旅費をかけて東京くんだりまで来るには及ばん。樺太には日本一の腎臓の博士がゐる。」と教へられて樺太へ舞ひ戻り、彼の治療を受けたといふ実話がある。

山野井が息子を九鬼に診てもらえばと思った背景には、こういう話があったのである。

posted by 松村正直 at 07:15| Comment(0) | 山野井洋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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