浄が入院中電報でご病状を見舞つて下すつた時
コワバレルアコノテアシヲサスリツツ、クキセンセイハ、ハルカナリケリ
と病状に添へて御返電申上ましたが、実はとつおひつ思ひ悩んで次の文言を控へたのでありました。
ワレ一セウノネガヒナリ、ヒカウキニテオイデコフ
しかし、今は打てば良かつた、おいで願へずとも諦めがついたであらうと話し合つてゐます。かへりみれば手ちがひばかりして死ぬべからざる子を死なしめました。
九鬼は樺太庁立豊原病院長を務める医師であった。樺太から東京までは随分と遠い。九鬼も忙しい身である。それでもなお、病気の子を診てもらうように頼めば良かったという後悔である。
もちろん、九鬼が診たところでおそらくは助からなかった命であろう。でも、子を亡くした親としては、「あの時、ああすれば、こうすれば」と、どうしても考えてしまうのだ。それが悲しい。
神の寄託といへば適切でせうか、浄は立派な稟質を有つた子でありました。私ごとに死なしめてはならぬ子であつたとの思ひが肉身別離の感情の中に消すことが出来ずにをります。
九鬼博士診(み)てたまひなば死なぬ子ぞ確信をもちて思ふなり今も
は歌にはならぬと思ひますが、ありのままの心であります。
九鬼先生に診てもらっていたらと考えることは、山野井をさらに苦しめたかもしれない。けれども、同時にそれは山野井にとって一種の救いでもあったように思うのである。