「ポドゾル」昭和14年1月号に、山野井洋は「生命の苦闘」という文章を書いている。全文を引こう。
十二月八日以来四十度の熱を出してゐる幼児の痛み声を聞きつつ本号を編輯した。
急性肺炎と中耳炎と脳症を併発して慈恵医大付属東京病院の一室に、生きてゐるのが不思議と医師のいふ小さな生命の苦闘を看つつ、ただに慟哭するばかりである。
本号がお手許に届く頃、この幼児の運命がどうなつてゐるであらうか? 生長途上の我がポドゾルが、かやうな私事に足踏してはならないが、新年を期してのいろいろのプランも、何も出来るものではなかつた。
眠つてゐないのと十分の後をはかれぬ我が子にひかれる思ひがもつれて、何を書いてゐるか分らない、昭和十三年十二月十九日午前一時の私である。
何と悲痛な文章であろうか。
「坊や、坊や」と呼び掛けていたのは、わずか半年前のことである。その二歳にもならない幼児が、今は四十度の熱が続いて命の危機を迎えている。そんな中で山野井は「ポドゾル」を編集し、この文章を書いたのだ。
今から78年前の冬の夜のことである。