2016年12月01日

「ポドゾル」昭和14年4月号

「樺太短歌」も「ポドゾル」も、誌面は内地の結社誌とほとんど変わらない。一例として、「ポドゾル」昭和14年4月号の目次を載せておこう。

松村英一がゲストとして作品10首を寄せている。
松村は昭和12年に「ポドゾル」の山野井洋や九鬼左馬之助らの招きで樺太を訪れており、それ以来、付き合いがあったのだろう。

 目次 ポドゾル・第三巻・第四号・昭和十四年四月

 表紙絵 一ツ葉翁草・・・・・船崎光治郎
 扉絵・・・・・・・・・・・・・山本善市

 片品川小吟(短歌)・・・・・・松村英一(四)

 四月集(短歌)・・・・・・・・・・・・(六)
    蝦夷島にて・・・・・・九鬼左馬之助(六)
    幻の幼児・・・・・・・・・山野井洋(六)
    同じく・・・・・・・・・・平原みち(七)
    戦線のあけくれ・・・・・・山内京二(八)
    上京・・・・・・・・・・山口辰三郎(一〇)
    春雪・・・・・・・・・・・林 霞江(一一)
    病間記録・・・・・・・・・眞田光良(一二)
    雪山・・・・・・・・・・・小田真一(一三)
 四月集への挨拶(短歌)・・・・山野井洋(一五)
 雲心山房雑信(二十三)・・・・雲心学人(一八)
 万葉集解義異説・・・・・・・・藤井尚治(二〇)
 ポドゾル集(短歌)・・・・・・・・・・(二四)
    細井たま 澤田貞子 矢田部崇 小暮葉
    中西竹詞 松村初枝 南太郎 奥山龍禅
    廣谷千代太
 ポドゾル集に寄す(短評)・・・・・・・(二四)
 郷愁通信(南支戦線より)・・・山内京二(二七)
 北満開拓譜(短歌)・・・・・・・・・・(三二)
    平山美泉 窪田金平 塩澤準得 吉澤千代
    鈴木壽子 三木太郎 登坂裸風
 開拓譜に寄せて(短歌)・・・・山野井洋(三二)
 ポドゾルの帯(通信抄)・・・・・・・・(三四)
    鷲津ゆき 登坂裸風 阿部悦郎 柳田新太郎

 題字・裏表紙カツト・・・・・菅原道太郎


posted by 松村正直 at 17:24| Comment(8) | 樺太・千島・アイヌ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
内容紹介の第一弾、興味深く拝見しました。この目次にも考察のヒントになる情報があると思います。一つはご指摘のとおり松村英一の寄稿ですね。引き続き、研究報告をお待ちしております。私は『樺太を訪れた歌人たち』がきっかけで山野井洋に関心をもったので、自分もちょっと調べてみたいと思っています。
Posted by 中西亮太 at 2016年12月02日 10:14
山野井洋は樺太歌壇で中心的な役割を果たした人物です。昭和13年6月には雑誌「樺太」の東京支社長となって上京しているので、樺太にいた歳月は意外と短いようです。

目次に名前のある眞田光良は、山野井洋の弟になります。1980年に『山野井三良歌集』という本を出していますが、収録されている歌はすべて戦後のものでした。

Posted by 松村正直 at 2016年12月02日 22:08
山野井の弟に戦後の歌集があるのですね。なるほど、それも興味を引かれる情報です。

あともう一つ注意されるのは、次の記事にも出てくる柳田新太郎の名がこの目次中にもあることですね。「通信抄」というのは山野井(もしくはポドゾル)宛のハガキの文面などをそのまま掲載した欄でしょうか? 柳田もジャーナリストだから歌壇の各方面と常に手紙のやり取りをしているわけですが、では柳田からのハガキの文面があらゆる短歌結社誌に載っているかというと、そんなことはないわけで、その「通信抄」に柳田と山野井の関係の親しさが表れているのかも知れません。とすると、そこに樺太―東京の人脈の一端の一端が見えているのかも知れないという気がします。
Posted by 中西亮太 at 2016年12月03日 09:59
「通信抄」はハガキなどを掲載した欄です。
柳田新太郎も戦前の歌壇のあちこちで名前を見かける人物ですね。『樺太を訪れた歌人たち』の版元ながらみ書房の爲永憲司さんが柳田のことを調べていると言ってました。「古今」に文章を連載しているのだとか。(読んではいないのですが)
柳田は樺太を題材にいくつも新長歌と呼ばれるものを詠んでいるようです。「半田澤国境線」(「立春」昭和13年6月号)、「幌見峠」「多欄泊アイヌ墓地」など。どれもまだ見てはいないので、いずれ調べてみたいところです。

Posted by 松村正直 at 2016年12月03日 17:18
柳田新太郎研究ですか、それは珍しい! いろいろなことをしている人が、居るところには居るのですね。ぜひその爲永氏の文章を読んでみたいものです。

「山野井洋と幼児」は「その3」までですか? こういった調査・研究が積み重なると、だんだん山野井の人物のイメージが浮かんできます。引き続き楽しみにしております。

私がなぜ山野井洋に関心を持っているかを松村さんにお話しして、アドバイスなどをいただければと思っているのですが、それは松村さんのブログのコメント欄を借りるのも何ですし、手紙かメールにしたほうがよいですね。
Posted by 中西亮太 at 2016年12月06日 04:37
「山野井洋と幼児」は「その6」まで続きます。山野井洋への関心の件、コメント欄でもメールでも、構いませんよ。と言っても、僕もアドバイスできるほど詳しくはないのですが…。山野井の第2歌集『竜爪緬羊牧場』も入手したいと思いつつ、古本の値段を見て溜息をついているところです。
Posted by 松村正直 at 2016年12月06日 06:17
「その7」まで続くことになりました。

Posted by 松村正直 at 2016年12月08日 07:55
江戸時代を世界遺産に
というブログを主催しております。
実は、オドゾルという雑誌の表紙を描いた
船崎光治郎について調べております。
もし、ご存知のことがありましたらご教唆願いたくお願いいたします。
Posted by 高橋十志 at 2019年03月16日 10:59
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