「短歌往来」12月号の評論月評に田中教子さんが次のように書いている。
「角川短歌」二〇一六年十一月号には「創作における装飾」と題する特集が組まれている。この「装飾」は「虚構」と同義にとらえられ、事実(リアリズム)か虚構(反リアリズム)か、という方法論への問いかけとなっている。
先ずリアリズム肯定派は、松村正直氏と楠誓英氏である。
えっ、と読んでいてびっくりしてしまう。
「角川短歌」で私は、一番最初に「事実か虚構かの二分法」に疑問を呈し、
事実と虚構とはそんなに明確に分けられるものなのだろうか。
と書いた。「そもそも芸術というものは、すべて事実と虚構の微妙な境界の上に成り立っているものである」とも書いた。
それなのに、勝手に「リアリズム肯定派」に分類されてしまうのだ。そういう単純で図式的な分類こそ、私が一番排除したかったものであるのに。
こういう反応を読むと、文章を書くことが何だか虚しいことのような気がしてしまう。