主なき千度の春に削られて飛べない梅に触れる霧雨
松本里佳子
太宰府吟行で詠まれた歌。千年の風雪に耐えてきた「飛梅」の姿が彷彿とする。
とろろわさび牛丼辛くて東京のすき家でこっそりたくさん泣いた
真崎愛
一人で牛丼を食べて涙を流す。「東京」で何かつらいことがあったのかもしれない。
教卓に潜ればふかく沈みゆく水兵リーベぼくたちの船
松本里佳子
かくれんぼでもしているところか。「潜れば」「沈み」「水兵」「船」と縁語のように言葉が続く。「ぼくの船」を「ぼくたちの船」に変えたところがいい。
青い実に並べる歯形どうしてもべつべつの地獄におちてゆく
松本里佳子
一緒の地獄に落ちることはできないということだろう。果実に付いた「歯形」と「地獄」の取り合わせがうまい。
平地より五度は低い、と説明をここでも聞いて風呂へくだりつ
山下翔
「温泉」50首から。雲仙の温泉宿での歌。雲仙は涼しいというのが謳い文句になっているのだろう。かぎ括弧がないのがいい。
正直に話さうとして説明がややこしくなるを湯に浮かべたり
山下翔
「きみ」と湯につかりながら、作者には何か話さなくてはならないことがあるようだ。でも、なかなか言い出せない。
この夏をいかに過ごしてゐるならむ花火のひとつでも見てれば
いいが 山下翔
母のことを詠んだ歌。しばらく会っていないようだ。なかなか会いに行けない事情があるのかもしれない。
「温泉」50首はかなり読ませる連作だと思う。「きみ」との関係や、家族の形、母に対する思いなど、作者の心の微妙な揺らぎが丁寧に詠まれている。具体的な事情ははっきりとはわからないけれど、それは別にわかる必要もない。どの家族にもそれぞれの事情があって、だからこそ哀しくも愛しいのだ。
2016年10月30日、300円。