老いの歌や人生の感慨の滲んだ歌、さらに戦争の記憶や近年の危うい社会状況なども積極的に詠んでいる。
点滴の四時間余り電子辞書に遊びてわれに知識増えたり
レントゲン技師の合図はこの今を働く声にてわれは従ふ
勇往邁進のごとき構へに歩み来る「健康のため」の老人怖し
理髪店の大き鏡の虚像より抜けきたるわれいづこへ行かむ
蝸牛のごときを耳に装着しあやしげに聞く万物の音
昨夜(よべ)の窓風を怺へてありしかど急げる雲を映せり今朝は
雪を積む土の中にて木草の芽音たててをりわが耳は聞く
早蕨を清らに濡らし夜の明けをわが精神の川は流るる
牛乳壜二度洗ひして乳色のうすきくもりは透き通りたり
この雨も聞えないのときかれたりざあざあ降つてゐるのかときく
2首目、「この今を働く声にて」がいい。仕事をしている人の声。
4首目、散髪の間ずっと鏡に映っていた私から、私が離れていく。
5首目、補聴器の歌。
7首目、実際の物音のことではないが、確かに聞こえるのだ。
8首目、何ともかっこいい。こういった表現ができるのも短歌の大きな魅力である。
10首目、耳の聞こえが悪いことも、素敵な歌になる。小雨なのか、ざあざあ降りなのか。
他にも、長歌「わが「歎異抄」体験」が凄味があって良かった。
「八十七歳書斎を建つるただ一度そして最後の贅沢として」という歌もあり、いくつになっても前向きな心を失わない作者である。
2016年11月11日、短歌研究社、3000円。