2016年10月29日

沼尻つた子歌集 『ウォータープルーフ』


「塔」に所属する作者の第1歌集。

どの空も再びは無く大いなる鏃(やじり)を為して渡り鳥ゆく
あらかじめ斜めのかたちの登山用車輛は平野を走ること無し
一頭の若鹿の鼻濡れ続く個人蔵なる油彩の森に
つむじからつまさきまでをひと盛りの泡に洗われ、ぴゅうと尿す
履歴書を三味線として流れゆく瞽女(ごぜ)であるなり派遣社員は
伊那谷の底(そこい)に白き川はあり吾を産む前の母を泳がす
淡雪のようなる埃をぬぐいたり半年を経し義援金箱
黙禱時に目を閉じるなと指示のありレジの金銭担当者には
ゼッケンの2の尾を伸ばし3と書く去年の娘の青き水着に
口元のω(オメガ)ぴるぴるうごめかし丸き兎は青菜を食めり

1首目、「大いなる鏃」という比喩に力がある。二度と同じ空はない。
2首目、ケーブルカーの車両は山の斜面を上下するだけだ。
4首目、赤ちゃんを洗っているところ。結句が可愛らしい。
5首目、派遣社員という立場の悲哀とともにプライドも感じる。
6首目、若き日の母の肢体を想像して、美しくなまなましい歌。
7首目、「半年」しか経っていないのに人々の心は急速に冷めていく。「淡雪」と「埃」の落差が胸に響く。
9首目、小学2年生から3年生になったのだろう。「尾」という捉え方がいい。
10首目、「ω」という比喩、「ぴるぴる」というオノマトペが絶妙。

父の死、離婚、東日本大震災、空き巣、再婚など、「出来事」の多い歌集であるが、詠み方には十分な工夫があって、単なる報告に終っていない。総合誌や「塔」に載った連作もだいぶ手を入れ、歌数も削っているようだ。

文法的に気になったのは「子の見あぐ一樹となりて陽のもとに葉を鳴らしたし いつかの五月」「見えぬもの不検出なる表かかげ開かるプールに小枝の浮かぶ」「植物油インクに刷らる広報の活字は草の種の大きさ」など。それぞれ「見あぐる」「開かるる」「刷らるる」と連体形にすべきところではないだろうか。

2016年9月7日、青磁社、1700円。

posted by 松村正直 at 08:24| Comment(4) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
松村さん、取り上げていただきありがとうございます!
歌集を編む間もずいぶん悩みましたが、
拙い作品を読み続けて下さる結社の仲間の存在に支えられています。
改めて感謝いたします。
(京ことばの少年の歌、なかなか人気があります)
文法のことはお恥ずかしい限りです……。
学び直します。
Posted by 沼尻つた子 at 2016年11月02日 23:32
歌集のご出版、おめでとうございます。
こうして1冊にまとまると、やはり重みがありますね。
京ことばの少年は、このところ学校から帰ってくると寝てしまい、夜中に起き出してごそごそ動いております。

Posted by 松村正直 at 2016年11月04日 20:00
文法のご指摘は興味深く拝見しました。
このコメント欄で既に著者の方がおしゃっているので、このことに関しては特に何もありません。そして、いまや口語と文語がひとつの歌の中で同時に用いられることがある、そのことの影響もあるのかななどとふと思いました。
Posted by lily at 2016年11月09日 00:10
lilyさま
コメントありがとうございます。
口語と文語が同時に用いられることの影響はあるでしょうね。文語と違って口語では、そもそも終止形と連体形の区別がありませんから。
Posted by 松村正直 at 2016年11月09日 07:31
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