1971年から2007年までの作品420首を収めている。
西海の旅籠屋に聴く春潮の満ちくるまでの力を思ふ
赤い小さな椿が咲いて春となる気配 真昼のしづけさにゐる
谷に棲む人の習俗、風俗の翳りさへ明るすぎる午後二時
多摩川を今朝も渡りて楽しまぬことのみおほくなる壮年や
青北風にこころすさびてゆくひと日ねもころに鳴く夜の邯鄲
神神の宿りたまへる大樟の真下にいこふ乳母車あり
ゆふぐれは今日も来たりて一本の煙草のやうな我であるのか
みづからの光の中に冴え返る星あり冬の槻の真上に
卓上に金のミモザは飾られて昼を眠れる猫とをさな子
見下ろせばあを篁のゆくらかに動くと見えてしづまりゆきぬ
1首目、海に近い旅館。潮の音に春の生命力を感じている。
4首目は電車で多摩川を渡る通勤風景。壮年の苦みのこもる歌だ。
5首目、「青北風」(あおぎた)は初秋に吹く北風。ひとり秋の虫の音を聴いている。
6首目、神社の御神木か。「大楠」と「乳母車」の取り合わせがいい。
7首目、煙草が灰になって次第に短くなっていくような心細さ。
10首目は歌集最後の一首。ゆったりとした調べが心地よい。
全体に季節や自然の捉え方が的確で、そこに心情を滲ませていくのがうまい。繊細でありつつ骨太でもある。
小紋さんには昨年7月に長崎で開かれた現代歌人集会春季大会の二次会でお会いした。病気療養中とのことであったが、無事に歌集が刊行されて良かった。
2016年8月7日、ながらみ書房、2500円。