谷川由里子という人がいて二〇一六年六月某日都内某所にて「四半世紀歌会」というものを開いた。二十五年に一度行われるというメンバー固定のスペシャルな歌会だ。ぼくのところにもその招待状が届いた。
と始まり、最後は
「四半世紀歌会」の次の開催は二〇四一年だ。そのときに自分が何をしているかさっぱり想像がつかないけれども、この歌会には参加するのは間違いない、死んでも参加しようじゃないか。本当の言葉なら未来にも現前化するだろう。否、現前化させるのだ。ぼくは「四半世紀歌会」という言葉を、そして谷川由里子という人をすっかり信じてしまっている。四半世紀後に必ず会える。
と終わる。
この内輪のノリは一体何なんだろう。中学校の卒業アルバムか?
自閉していて、まったく外部の人に届かない話を延々と続けている。
これを読んで思い出したのが、「ユリイカ」8月号に同じく石井が書いている「たたたたたたた魂の走る部屋」という文章だ。
僕は短歌をやっている人が好きなのだ。人と関わる手段がたまたま歌会というものだっただけで僕の興味は最後には人に帰着する。僕は歌会を信じるということ以上に、歌会という場に集う人たちを信じているし、愛している。
「人と関わる手段」として、石井は歌会をやっているらしい。そこが根本的に私とは違う。短歌を通じて人との関わりが増えることはあるけれど、友達作りのために短歌をやるというのはどうなのか。
まあ、大学のサークル活動のノリということなのだろう。
そう考えれば、別に不思議でも何でもない話なのかもしれない。
コメントありがとうございます。
自分なりにもう少し考えてみます。