第10歌集『鏡葉』にも38首の長歌があり、これがなかなかいい。
国民生活
九つのわが女(め)の童(わらは)、その母に語るをきけば、第一に尊きものは、かしこしや天皇陛下、第二には神蔵(かみくら)校長、第三は亀岡先生、第四はといひたゆたひつ、護国寺の交番の巡査、第五には我家(わぎへ)の父か、何とはなけれど。
娘が尊敬する人の順番で5番目だった作者。
3番まではともかく、「交番の巡査」に負けたのはつらい。
素朴なるよろこび
正月の三(み)日といふ今日(けふ)、三人子(みたりご)を連れて家いで、神楽坂(かぐらざか)の洋食屋にて、いささかの物を食はしぬ、十八となれる兄の子、大人(おとな)びてフオークを執れば、八つとなれる末(をと)の暴(あば)れ子、取り澄まし顔よごし食ひ、十三となれる中の子、少女(をとめ)さびナイフ扱ふ、さりげなくそを見つつ食ふ、この肉の味のうまさよ、うまきやと問へばうなづく、三人子(みたりご)におのづと笑まれ、マチ摺(す)りてつくる煙草(たばこ)の、ほのかにも口にしかをる、いざ行きてまじりはすべし、今日(けふ)の大路(おほぢ)に。
お正月ということで贅沢をして家族で外食をした場面。
難しい言葉はどこにもなく、幸せな気分が溢れている。
大正という時代の雰囲気も感じられる内容だろう。
この歌に出てくる「兄の子」は章一郎、「末の子」は茂二郎。「寝かされてゐる弟に童話読みわかるやときく読みさして兄」という歌もあるように、年齢は十歳近く離れているが仲の良い兄弟であったようだ。
空穂の代表的な長歌「捕虜の死」を読む際には、こうした歌のことも頭において読むのが良いのだろう。こんな幸せな時間もあったのである。