2016年06月24日

三井修歌集 『汽水域』

2005年から2013年までの作品506首を収めた第9歌集。

継子(ままこ)なる我ら四人が引き取らぬ母なり老いて家を去りたり
縁(えにし)ありて母となりたる人のまだ熱(ほめ)く胸骨を箸もてつまむ
絶筆にあれども読めぬ 麻痺の手に父が書きたる葉書一葉
古九谷の皿の中ゆく赤き雉三百年経てまだ皿を出ず
スモーキングエリアの中のうすけむり透かして耳のいくひらが見ゆ
黙祷をするは人間のみにして蟬は鳴き継ぐその一分を
夜のうちに遥かな海を航海し夜明けに庭に戻る紫陽花
工事場の囲いに細き隙間あり子供と犬は必ず覗く
背中より腕より椅子より幼な子はずり落ちやすし秋の一日(ひとひ)を
流れゆく霧にわが身は冷えながら屋嶋の城の石垣に寄る

1首目、ふるさとの能登に暮らす継母。前歌集『海図』にも、「抱(いだ)かれしことなき人の細き腕取りて階段ゆっくり下る」という印象的な歌があった。
2首目、その母が亡くなった時の歌。「縁ありて母となりたる」が、母と子の複雑な関係や思いを伝えている。「縁」を「えん」ではなく「えにし」と読ませているのもいい。
4首目、三百年前の皿に描かれた雉の絵。永遠にその中から出られない。
6首目、黙祷の間、蝉の鳴き声がひときわ高く響いたのだろう。
7首目、何とも美しい発想の歌である。夜中に見たら本当に庭にいなかったりして。
9首目、孫を詠んだ歌。「ずり落ちやすし」というのが一つの発見である。
10首目、作者は石垣が好きであるらしい。竹田城跡の石垣の歌もあった。

もしかして我でありたるかも知れず砂漠で頸を刎ねられたるは
さはあれど刎ねられたるはわが頸にあらねば朝の味噌汁啜る

2015年1月にイスラム国によって日本人の人質2名が殺害された事件を詠んだ歌。作者は仕事で中東に長く生活をしたことがあり、他人ごとではなかったのだろう。2首が対になっていて、1首目だけならよくあるパターンの歌なのだが、2首目があることで深みが生まれている。

2016年5月25日、ながらみ書房、2800円。

posted by 松村正直 at 08:02| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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