一秒前の姿を示す月面の光に揺らぐビーカーの水
採卵鶏のケージのごとし教師らが職員室に昼飯を喰う
五限目のチャイムが鳴って作業着の少女の群れが日を浴びている
魚屋の魚はいまだ新鮮で商う人が年を経ている
まひるまの家に白菜きざむ音 見知らぬ女が母だと名乗る
キッチンにセルリの青き匂いして君を待つ夜にスープ煮ており
公園の遊具の一つの新幹線動くことなく春雨のなか
アントシアン色素を含む葉を刻み夕餉の皿に乗せて並べつ
山峡を列車とろとろ進み行き化粧を直す女を運ぶ
鳥類に産まれることもできたのだ我が子の背なの産毛に触れる
小題がユニークで、「栽培実習」「生物工学」「農業教育概論」「解剖学」「分子生物学」・・・などとなっている。これは作者が農業高校の教師をしているためでもあるのだが、別にすべてが職場詠というわけではなく、こういう題で統一してみたということなのだろう。
1首目、月と地球の距離は約38万キロ。光の速さは秒速約30万キロなので、私たちが見ている月は「一秒前」の姿なのだ。
4首目、扱う魚は常に新鮮であるけれど、店主は齢を取っていく。発想がユニーク。
6首目、「セルリ」がいい。「セロリ」と書くよりオシャレな感じ。
8首目、赤紫蘇だろうか。こんなふうに日常生活の場面にも科学的な知識がしばしば顔を出す。
10首目、進化の歴史をたどるようでもあるし、人間に生まれてしまった悲しみを見ているようでもある。
後半になると、父親の再婚、自らの結婚、子どもの誕生といった歌が中心となってくる。特に父親との葛藤は、作者にとって大きなテーマと言って良いだろう。
2016年3月30日、現代短歌社、2000円。