2016年06月12日

円満字二郎著 『昭和を騒がせた漢字たち』


副題は「当用漢字の事件簿」。

1946年の当用漢字の公布から始まる戦後の漢字の歴史について、社会を賑わしたいくつかの出来事を中心に、時代を追って記している。

『青い山脈』(1947年)の「恋」、郵政省改名騒動(1958年)の「逓」、誤字を理由にした解雇問題(1967年)の「経」、水俣病患者の幟(1970年)の「怨」、「よい子の像」碑文裁判(1976年)の「仲」など、漢字にまつわるエピソードが数多くあることに驚く。

当用漢字という制度は、一つの思想であった。漢字を制限し、日本語を一般民衆にとって覚えやすく使いやすいものに作り変えていくことは、民主主義のために必要だ、という思想である。
「当用漢字字体表」は、たしかに漢字の字体の基準を示している。その基準が、極端に厳密に求められるようになったのである。それは、漢字に関する「基準を求める心」が、受験戦争と結び付いた結果であった。
教育の平等が行きわたれば行きわたるほど、当用漢字の存在価値は、軽くなっていく。(・・・)その結果、あらわになってくるのは、自己表現の手段としての漢字の自由の拡大である。

漢字の制限と漢字の自由という相反する考えは、互いに消長を繰り返しつつ、長い目で見れば自由の拡大へと向かってきた。これは、戦後の日本の歩みとも深く関わっている。

今年に入ってからも、漢字の「とめ」や「はね」の有無を広く許容するというニュースが話題になった。現在、文化庁のホームページにて公開されている「常用漢字表の字体・字形に関する指針(報告)の概要」には、「字の細部に違いがあっても,その漢字の骨組みが同じであれば,誤っているとはみなされない」とある。

これも本書の描いた戦後の流れに位置づけられる話であろう。

2007年10月1日、吉川弘文館歴史文化ライブラリー、1700円。

posted by 松村正直 at 10:23| Comment(0) | ことば・日本語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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