副題は「ドキュメンタリーは「虚構」を映せるか」。
平田オリザと青年団の活動を取材した映画「演劇1」「演劇2」について、監督である著者が記した本。平田や青年団の俳優との対談、座談会なども収録されており、平田の現代口語演劇の理論や、想田の観察映画の方法論がよくわかる内容となっている。
以前、この映画を観た時に買って長らく「積ん読」状態になっていたのを、新作「牡蠣工場」を観たのをきっかけに思い出して、本棚の奥から発掘して読んだのである。
http://matsutanka.seesaa.net/article/387138986.html
ドキュメンタリーとは何か、演技とは何か、リアルとは何か、といった問題について実に多くの示唆を与えてくれる内容となっている。著者自身、撮影や編集をする中で何度も自問自答を繰り返しつつ、ようやく作品を完成させている。
「ありのまま」を映画にする作業は、容易ではない。被写体を漫然と撮って編集したのでは「ありのまま」は映らない。「ありのまま」の再現には、綿密な計算や操作、技術や鍛錬が必要なのだ。
「作り手が出会い、体験した世界を描く」ということは、「作り手が出会わなかった、体験しなかった世界は描かない」ということでもある。それは「あれも、これも」ではなく「あれか、これか」を選択する態度であり、引き算の思想なのだ。
構成がうまくいき始めると、ひとつのシーンが映画の中で単一の役割ではなく複数の役割を果たし始める。それが起こり始めたら、その構成は正しい。
最後の文章など、例えば短歌の連作をどのように並べるかといった問題にも通じる話だろう。
それにしても、当初「90分〜120分」を予定していた映画が、実際には「演劇1」2時間52分+「演劇2」2時間50分の計5時間42分になるのだから、相当な入れ込みようである。
しかも、実際に撮影した時間は何と約307時間。全撮影時間のうち映画になったのは、わずかに1.8%なのだ。でも、その残り98.2%の部分が陰で映画の質を支えているのだろう。
2012年10月19日、岩波書店、1900円。