副題は「青年団と私の履歴書」。
2004年に白水社より刊行された単行本を新書化したもの。
大学1年で初めて戯曲を書いた1982年からの10年間、著者の二十歳代の出来事が記されている。当時発表された文章や公演のパンフレットからの引用も多く、時代の雰囲気と現代口語演劇が完成するまでの軌跡がよくわかる。
私は劇団員に戯曲を渡すと、まず初期の段階で、「首を動かすこと」「手を動かすこと」「セリフに間を入れること」の三点を禁止する。 /「AIジャーナル」12(1987年12月)
悲しいという感情は、悲しいという言葉では表現されない。悲しさを表わす比喩も、無前提を条件とするならば、よほど高度で、緊張感の伴ったものでないかぎり、押し付けに終わってしまうのが大抵である。 /同上
ディテイルにこだわること。会話と意識のディテイルにこだわって、逆に大事なことは全て省略し、物語の展開は、観客の想像力に完全に委ねてしまうこと。 /1991年「ソウル市民」再演のチラシ
こうした理論的な裏付けに基づいて、平田オリザの「静かな演劇」は生まれたのである。
帰国後、猛烈な勢いで、私は『ソウル市民』を書き上げた。
この作品を書き上げて、もうその瞬間に、私は日本演劇史に名を残したと思った。不遜な言い方になるが、事実そう思ったのだから仕方がない。
この自信の強さに、目を見張る思いがする。
これくらいの矜持や気概がなければ、何かを成し遂げることはできないに違いない。
その一方で、「ソウル市民」に対する最初の劇評には「やはり結果はまったく退屈でした。まして、俳優の基礎訓練ができていない。主張は結構ですが、方法は明らかに誤りでしょう」などと、散々に書かれる。けれども著者は、そんな無理解に対してめげはしない。
いまも、この号の『悲劇喜劇』は、私の机のいちばん目立つところに置いてある。そして、私は、この雑誌をときどき手にとって、この劇評の部分を眺め、少しだけ勇気づけられる。
誉められた評ではなく貶された評を置いているのだ。それをエネルギーに変えているのである。この姿勢は見習いたいと思う。
2013年8月25日、白水Uブックス、1200円。