2016年05月08日

三枝昂之歌集 『それぞれの桜』

270首を収めた第11歌集。
第1部は「現代短歌」の20首×8回の連載、第2部は「りとむ」に発表した作品がもとになっている。

まだ細き白樺の木が立っている創刊号の表紙の野辺に
雨音を聴きながら食むどら焼きは三時に半ときほどを遅れて
耳だけが酔いの遠くで聞いている夕べの秘密はどんな秘密か
切株となりて学びを支えたる大欅あり故郷の庭に
メールにてわれを去りたる一人あり静かな静かな過ぎゆきである
妻のあるおのこ夫のあるおみな青梅ふとる皐月闇なり
違うところへ行ってしまった 雪のようにわれをさいなむ遠き声あり
「労働者・学生・市民を結集し」まず定型から抜け出よ言葉
アカシヤの蜜をすくいて含みたり妻と二人のあしたの卓に
遠き日のブリュッケという同人誌二年はもたぬ若さであった

「清春白樺美術館」(山梨)、「摩文仁の丘」(沖縄)、「干潟よか公園」(佐賀)、「ホキ美術館」(千葉)、「無言館」(長野)、「茂吉の里」(山形)、「大隈講堂」(東京)、「山梨美術館」(山梨)、「石下」(茨城県)など、旅行や用事で出かけた場所に材を取った歌が多い。

1首目、1910(明治43)年の「白樺」創刊号。上句が最初は実景のように感じられる語順がおもしろい。雑誌を創刊した人々の志は今も生き続けているというニュアンスもある。
2首目、おやつと言えば一般的には三時であるが、この歌では三時半。その遅れと雨の日の気分とが合っている。
5首目、「メールにて」が何とも寂しい。最後に会うこともなければ、手紙で伝えられたのでもないのだ。
6首目、二人の関係をあれこれ想像できるが、特に深読みしなくても雰囲気だけで十分に味わえる歌だ。
8首目、アジ演説やビラなどでよく使われる言い回し。こうした言葉は、1960年代や70年代ならともかく、今ではもう人々の心に届かない。
10首目、「ブリュッケ」はドイツ語で「橋」。同人誌がたいてい短命に終わるのは、それが若さそのものだからなのだろう。

2016年4月15日、現代短歌社、2500円。

posted by 松村正直 at 06:56| Comment(2) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
結社の記事、興味深く読みました。ありがとうございました。
今日の天声人語は河野裕子さんの一首が載ってて、今年二月には「いくつもの人のこころを経由してうつくしからぬ噂とどきぬ 」松村さんの一首。
引用があると近しい感覚で読んでしまいます。
Posted by 豚肉を揚げる音 at 2016年05月08日 15:28
母の日に関連させて「さびしいよ息子が大人になることも こんな青空の日にきつと出て行く」が引かれていましたね。自分が二十数年前に家を出た時のことなど思い出しました。
Posted by 松村正直 at 2016年05月08日 16:49
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